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暮らしのなかの水

 私たちは、暮らしのなかで、生死を彷徨うほどの水不足やそれに伴う飢饉にあったことはありません。しかしながら、昔の日本では、そんな時代もありました。
 そのため、水を大切にする仕組みや信仰というものが日本中のあちこちで散見されます。

もったいない!からの発想

 mizu1.png環境省の名水100選第1号に指定された郡上八幡の宗祇水(白雲水)は、綺麗な湧水として有名ですが、私は特に湧水の利用の仕方に惹かれた部分があります。宗祇水は、石造りの水場で構成されており、湧水部から飲料水部へ、次の下流部では米等洗浄、野菜等洗浄(食糧洗浄水)として、その次の下流部ではさらし場(食器等洗浄水)として水利用が行われています。"もったいない"の発想からの仕組みではないかと思います。

 仕上げの工程で汚れた水は、最初の汚れ落としのための一次洗浄で再利用するというのは工場でも良く行われていることで、珍しくもありませんが、暮らしのなかで昔から行われていたことにとても関心させられました。

 食器洗浄水で思い出したのですが、琵琶湖西部の高島市の一部では、湧水を溜池に貯めて、次に端池に流して利用するカバタの風習があって、食器洗浄水の残飯は端池で泳いでいる鯉の餌になるというシステムだったと記憶しています。

 mizu3.pngこのように昔から、水を大切にする仕組みや習慣があり、日本人は水と共生してきました。今や日本では、いつでもどこでも飲める水ではありますが、この考え方や気持ちは大切にしたいものです。
郡上八幡市のゆるキャラの"GJ8(ジージェーエイト)マン"にも、地域の人々が水によせる思いを感じます。

水は尊いものだから

 mizu4.png日本の湧水には、由来を持つものが多いです。私が知る限りでも、"弘法"の名のつくものは特に多く感じます。ストーリーとしては、水不足に困っていたところ、修行中のお大師様が錫杖を地面に突き刺すと、そこから水が湧き出したという内容で、民衆に人気があり、敬われている空海(弘法大師、お大師様)を水と結びつけたものではないかと考えます。
 神様に結びつけたものも多いです。御神水・霊泉は良く聞くのではないでしょうか?幾つかの有名な御神水・霊泉の写真を添付しました。何処となく水場の持つ雰囲気は、清々しさを感じます。mizu5.pngまた、昔の日本では、湧水は神仏からの恵として崇められているように感じます。

 世界規模でみると、水は石油以上に貴重であり、水のために戦争が起こるのではと危惧されていますが、現代の日本では、水の大切さは実感できてないように感じます。
 先人達の残した、水に対する思いを継承し、何らかの形で貢献していきたいと思います。

分析技術グループ 宮崎